経済成長
1990年代の後半から経済は低調で、政府は巨額の債務を抱え、国民は急速なインフレーションに悩まされている。1994年1月を100とする卸売物価指数で、 2001年1月は2686.8、 2002年1月は5157.4、 2003年1月は6840.7、2004年1月は7576.5であった[ 要出典]。歴代の政権はインフレの自主的な抑制に失敗し、2000年から IMFの改革プログラムを受けるに至るが、同年末に金融危機を起こした。この結果、トルコリラの下落から国内消費が急激に落ち込み、リラの変動相場制移行をおこなった 2001年にはリラの対ドル価が50%以上暴落、実質 GNP成長率はマイナス9.4%となった [ 要出典]。2002年以後は若干持ち直し、実質GNP成長率は5%以上に復調、さらに同年末に成立した公正発展党単独安定政権のもとでインフレの拡大はおおよそ沈静化した。 2005年1月1日には100万 トルコリラ(TL)を1 新トルコリラ(YTL)とする新通貨を発行し、実質的なデノミネーションが行われた。
交通
トルコにおいて交通の中心となっているのは、旅客・貨物ともに陸上の道路交通である。鉄道は国鉄(TCDD)が存在し10,940kmの路線を保有・運営しているが、きわめて便が少なく不便である。また、駅舎・路線・その他設備は整備が不十分で老朽化が進んでいる。2004年には国鉄は最高時速160km の新型車両を導入したが、7月にその新型車両が脱線事故を起こし39名の死者を出した。これは、路線整備が不十分なまま新型車両を見切り発車的に導入したことが原因といわれている。この事故は国鉄の信頼性を一層低下させ、その後鉄道乗客数は激減している。トルコ政府は道路整備を重視しており、トルコ国内の道路網は2004年現在63,220kmにおよんでいる。また、 イスタンブル・アンカラを結ぶ高速道路(Otoyol)も完成間近である。貨物輸送はもちろん、短距離・長距離を問わず旅客輸送の中心もバスによる陸上輸送が中心で、大都市・地方都市を問わずトルコの都市にはかならず長距離バスターミナル(Otogar / Terminal)が存在し、非常に多くのバス会社が多数の路線を運行している。また、世俗主義国家であるとはいえイスラム教国であるため、これらのバスでは親子や夫婦などを除き男女の相席をさせることはまずない。トルコでは雇用所得がまだ低いことや、高額の自動車税(1600cc未満28%、1600cc以上40%)、非常に高価なガソリン価格(2004年現在1 リットル当たり200万トルコリラ(約150円)程度)のために、自家用車の普及はあまり進んでいない。また、農村部においては現在でも人的移動や農作物の運搬のためにトラクターや馬を用いることはごく普通である。農村部や地方都市において露天バザールが開催される日には、アンカラやイスタンブルとはかけ離れたこれらの光景をよく目にすることができる。
国民
トルコでは民族構成に関する正確な調査は存在せず、またトルコにおいては、民族よりもイスラム教徒であることを第一のアイデンティティとするもの、あるいは国籍上の意味合いにおいてのトルコ人であることを優先するものなどが存在すること、その上最大多数派であるトルコ人の定義自体が、アナトリア半島が歴史的に非常に複雑で重層的な混血と混住が行われてきた地域であることもあり、人種的な意味合いにおいてまったく不明瞭であること、などの理由により、なにをもって民族を定義するかということ自体が困難であるため、民族構成に関する数字は明らかではない。かつてトルコにおいては、国民は一体であるという原則から、トルコ国民はすべてトルコ人でありトルコ語を母語とするという建前を取っていたが、現在では、民族的にトルコ人ではない国民も存在すること、 トルコ語を母語とする話者は全人口の90%程度であることをトルコ政府は公式に認めている [ 要出典]。 少数派の民族としてとしては、クルド人、 アラブ人、 ラズ人、 ギリシャ人、 アルメニア人、ザザ人などが存在するとみなされている。とくにクルド人はトルコにおいてトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は数百万人とも、一千万人を超えるとも言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場をとり、クルド語での放送・出版を禁止し、またクルド人にたいし「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど差別的な行為を行っていた。しかしながら、現在においては山岳トルコ人という呼称は用いられることがない。2004年にはクルド語での放送・出版も公に解禁され、旧民主党(DEP:共和人民党から分離した民主党(DP)とは別組織)ザナ党首の釈放と同日に、国営放送第3チャンネル(TRT3)においてクルド語放送が行われた。クルド人はいわゆる北部クルディスタン、すなわちトルコにおける呼称で言う南東アナトリア地域にのみ居住しているのではなく、トルコにある81の県全てにおいて、地域によって差はあるものの、ある程度のまとまりを持った社会集団として存在している。実際、クルド系政党民主国民党(DEHAP)はトルコ全域において政治活動を行い、総選挙においても得票をあげている。逆に、南東アナトリア地域において居住しているのはクルド人のみではなく、トルコ人、アルメニア人、ザザ人なども共和国成立以前から存在している。1960年以降は全国的な農村部から都市への移住が増加にともないクルド人も都市部への移住が進み、そのため現在においては、クルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる。1990年以降において、もっとも多数のクルド人が存在するのは南東アナトリア6県のいずれでもなくイスタンブル県であるとの推計も存在する。一般に都市に居住するクルド人は所得水準が低く、また敬虔なイスラム教徒であり、このことが都市部において大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党の躍進をもたらしたものとする考えは比較的有力なものである。宗教構成は、宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査が存在する。それによると、人口の99%以上がムスリム(イスラム教徒)であるが、身分証明書においても宗派は記載事項ではないため、詳細な宗派区分については不明な点も多い。しかし、その大多数がスンナ派であると一般には考えられている。その一方でかなりの数のアレヴィー派 も存在し、20%を越えるとも言われる。その他の宗教には東方正教会、 アルメニア使徒教会、 ユダヤ教、 カトリック、 プロテスタントなどがあるが、いずれもごく少数である。
教育
義務教育機関として、8年制の初等教育学校(ilk öğretim okulu)が置かれ、そのほか4年制(2004年9月入学以降、それ以前は3年制)の高等学校(lise)、大学(universite)などが置かれている。ほかに就学前教育機関として幼稚園(anaokulu)なども存在する。初等教育学校を含めほぼ全ての学校が国立だが、私立学校も存在する。ただし、私立学校の1ヶ月間の学費は、給食費・施設費等込みで一般労働者の月収とほぼ同等で、きわめて高価である。公立高校・公立大学への入学にはそれぞれLGS・ÖSSの受験を必要とし、成績順で入学校を決定する。トルコにも受験競争は存在し、高校入試・大学入試のために塾(dershane)に通うことも珍しくない。教員数・教室数はともに十分な数には達しておらず、初等教育学校は午前・午後の二部制である。また学校設備も貧弱で、体育館・プールなどは公立学校にはまず存在しない。運動場は狭くコンクリート張りで、バスケットボールやフットサルが精一杯である。また、図書館も存在しないか、あっても不十分である。学校設備の不十分さに関しては国も認識し、世界銀行からの融資を受けるなどして改善を図っているが、厳しい財政事情もあって改善が進まないのが現実である。 成年識字率は2003年統計[ 要出典]で88.3%(男性95.7%、女性81.1%)。ただし、トルコは20歳以下人口が全人口の35%程度を占めるきわめて若い国であることに注意する必要がある。特に高齢の女性には非識字者が多い。 2004年現在、男子児童の就学率は統計上ほぼ100%に到達したが、女子児童の非就学者は政府発表で65万人程度存在し、トルコ政府は、「さあ、女の子たちを学校へ(Hadi Kizlar Okula)」キャンペーンを展開するなどその解消に努めている。しかし、女子非修学者の問題には、経済事情に加え、男女共学のうえ、ヘッドスカーフ着用禁止の初等教育学校に通わせることを宗教的な観点から問題視する親が存在するという事情もあり、女子非修学者の減少はやや頭打ちの状態である。
文化
トルコの国土は、ヒッタイト、 古代ギリシア、ローマ帝国、 イスラームなどさまざまな文明が栄えた地であり、諸文化の混交がトルコ文化の基層となっている。これらの人々が残した数多くの文化遺産、遺跡、歴史的建築が残っており、 世界遺産に登録されたものも9件に及ぶ(詳しくは トルコの世界遺産を参照)。トルコの伝統的な文化はこのような基層文化にトルコ人が中央アジアからもたらした要素を加えて、東ヨーロッパから西アジアの諸国と相互に影響を受けあいながら発展してきた。例えば、世界三大料理のひとつとも言われる トルコ料理は、その実では ギリシャ料理やシリア地方の料理とよく似通っているし、伝統的な トルコ音楽のひとつ オスマン古典音楽はアラブ音楽との関係が深く、現代のアラブ古典音楽で演奏される楽曲の多くは オスマン帝国の帝都イスタンブルに暮らした作曲家が残したものである。俗にトルコ風呂などと呼ばれている公衆浴場文化(トルコ本国においては性風俗店の意味はなく、伝統的浴場の意である。詳細は下記参照)は、中東地域に広く見られる ハンマームの伝統に連なる。逆に、中東の後宮として理解されているハレムとは実はトルコ語の語彙であり、多くの宮女を抱えたオスマン帝国の宮廷のイメージが、オリエンタリズム的な幻想に乗って伝えられたものであった。近現代のオスマン帝国、トルコは、ちょうど日本の文明開化と同じように、西欧文明を積極的に取り入れてきたが、それとともにトルコ文学、演劇、音楽などの近代芸術は、言文一致運動や言語の純化運動、社会運動などと結びついてトルコ独自の歴史を歩んできた。こうした近代化の一方で、歴史遺産の保全に関しては立ち遅れも見られる。無形文化財ではオスマン古典音楽の演奏者は著しく減少し、また剣術、弓術などいくつかの伝統的な技芸は既に失われた。有形の遺跡もオスマン帝国時代以来のイスラム以前の建築物に対する無関心は現在も少なからず残っており、多くの遺跡が長らく管理者すら置かれない事実上の放置状態に置かれてきた。近年は、いくつかの有名なギリシャ・ローマ時代の遺跡やイスラム時代の建築が観光化されて管理が行き届くようになったが、依然として多くの遺跡は風化の危機にさらされている。このような状況に対する懸念も表明されているが、その保全対策は財政事情もありほとんどまったく手付かずの状態である。
祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考 /
1月1日 元日 Yılbasi 法令上は祝祭日ではなく休日
4月23日 国民主権と子供の日 Ulusal Egemenlik ve Cocuk Bayrami /
5月19日 アタテュルク記念と
青少年とスポーツの日 Ataturk'u Anma ve Genclik ve Spor Bayrami /
8月30日 戦勝記念日 Zafer Bayramı
10月29日 共和国記念日 Cumhuriyet Bayrami /
移動 断食明けの祭り(砂糖の祭) Ramazan Bayrami 初日の13時から3日半 移動 犠牲祭
Kurban Bayrami 初日の13時から4日半
スポーツ
トルコにおいて国民的なスポーツとしては、まずサッカー(トルコ語でfutbol:発音フトボル)があげられる。国内には18のプロチームが参加するシュペルリグ(Super Lig)を頂点に2部リーグ、3部リーグ、さらにその下部の地域リーグが置かれ、プロ・アマ合わせれば膨大な数のサッカーチームが存在する。また、サッカーチームの多くは総合スポーツクラブの一部であり、バスケットボール・バレーボールなど、他種目のスポーツチームを同じクラブが抱えることも多い。トルコはUEFA加盟国であるため、シュペルリグ上位チームは UEFAチャンピオンズリーグ・UEFAカップに参加可能である。多くのチームの中でもイスタンブルのフェネルバフチェ(Fenerbahce)・ガラタサライ(Galatasaray)・ ベシクタシュ(Besiktas)とトラブゾンのトラブゾンスポル(Trabzon Spor)は4大チームと呼ばれ、テレビ・新聞などでの報道量も他のチームに比べ抜群に多い。これらのチームは実力的にも上位にあるためUEFA主催のリーグに参加することも多い。UEFA主催のリーグに参加するチームは、なかばトルコ代表として扱われることもあり、これらの強豪チームは地域にかかわらず全国的に人気がある。また、イスタンブルのフェネルバフチェ・ガラタサライ・ベシクタシュの3チームは、イスタンブル証券取引所に上場する上場企業でもある。トルコ代表は 2002 FIFAワールドカップで3位に入るなど健闘した。この大会では韓国と日本に勝利しており、同一大会で2つの開催国に勝つという珍しい記録を達成した。また優勝したブラジルには 2回敗北している。 ほかにプロスポーツとしては バスケットボール・ バレーボールのプロリーグが存在する。特にバスケットボールは NBAでのトルコ人選手の活躍や2010年の 世界選手権を控えていることもあり、近年人気が上昇している。また、2005年からは F1 トルコGPが開催されており、 WRCのラリー・オブ・ターキーとあわせて、モータースポーツにおける発展も期待できる。650年の歴史をもつ伝統格闘技として ヤールギュレシ(オイルレスリング)があり、トルコ共和国の国技となっている。アマチュアスポーツとしては、 レスリング、 重量挙げなどに人気がある。またトルコ人の気風を反映してか、空手・柔道の道場も非常に多い。
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